アイヌ文化
イランカラプテ、2016年にアイヌをテーマに北海道を旅しました。
過去、エチオピアに住む石器を今でも使う少数民族やシャーマニズムを信奉しているバイカル湖畔を旅しました。
しかし彼らは日本からは遠い民族。では、既に近代化した国の中に住んでいる民族や日本に住む先住民族はどのような状況で何を思っているのか、それを知る旅でした。
■旅程
今回のアイヌを知る旅は、
・知床のエコツアー:アイヌの遺跡を巡るアイヌの方に案内していただけるツアー
・豊浦町のカムイノミ・イチャルパ:今回20回目となる北海道豊浦町で開催された先祖供養祭
・二風谷:アイヌの民族資料館のみならずアイヌの神様の伝承地が各所に残っている地域
が主な見どころでした。
■印象
・日本に住む先住民族はアイヌ以外にも存在する
知床には、オロンコ岩、という岩がありその昔、アイヌ民族と争っていたオロッコ族が住んでいた伝承があるそう。このオロッコ族は今は「ウィルタ族」として知られており、今でも数百人住んでいるそうです。
そういったオホーツクエリアの先住民族は、アイヌ、ウィルタ、ニヴフとおり、日本国内にまだ住んでいらっしゃる。アイヌ民族はもちろん知っていましたが、他日本に先住民族は恥ずかしながら初めて知りました。
そして、1997年に北海道旧土人法という前近代的な法律が廃止され、新たに「アイヌ文化振興法」が制定され、アイヌが日本の先住民として位置づけられました。ウィルタとニヴフはそれには含まれていない。何か考えさせられます。
(続く)
(続き)
・土地の伝承、神様の言い伝えが力強く残る
二風谷では、アイヌに衣食住を伝えた神様のオキクルミが降り立った場所があり、彼が貫いた矢のあとがオプシヌプリ、彼が住んでいた城柵がオキクルミチャシ、3頭の熊が並んだように見える岩ウカエロシキ、などが伝わっています。
この自然の風景に様々な伝承が残っているのは、世界中どこでもいっしょ。例えば、バイカル湖のオルホン島では、シャーマンによって岩に姿をかえられた3人の岩などが残っている。
そして、アイヌは熊やフクロウ、住居にカムイ(神様)がいるという信仰。まさにアニミズム。日本の本州でも同じですね。竈には火の神がいて、家の神が居る。
人類共通の信仰の心があると同時に、都会や現在に失われつつあるものを感じさせます。
※ちなみに、アイヌによると鹿はカムイではないらしい。本州では神の使いだが。。
(続く)
(続き)
・和人に侵略されるアイヌの土地、開拓民として土地を開く日本人
何人かのアイヌの方にお話を聞くことができました。
明治以降の日本語強制の時代や、
刺青などの風習を禁止されたこと、
土地や漁場が和人に優先的に配分されたこと、
昭和の時代の差別や学校でのいじめ、
職業差別など
を日本社会におけるアイヌ民族としての苦労話を多く聞かせていただきました。
そして、資料館などに行っても、江戸時代松前藩の圧政や大阪商人・近江商人のアイヌからの搾取の状況の説明も多くありました。例えば、アイヌの少年が商人のもと1年間働き、指を失ったにもかかわらず、その報酬は1個の漆器だけだった話、などは考えさせられます。
また、一方、北海道の各地には、神社が集落ごとにありますし、街の入り口や道路の脇には開拓記念碑を多く見かけます。冬に閉ざされる開拓民の苦労話などは本や映画にもなっています。
一方の見方では、侵略され搾取される、もう一方では開拓の苦労話・ヒーロー話につながっている。
これはオーストラリアのアボリジニの居住地であるアーネムランドでも感じましたが、お互いの立場を両方知った上で、考えないといけないと思い至ります。
相手を“思い遣る“はなく、相手の”立場になって“考える、それが必要なのだと思います。
・復活するアイヌの文化、アイデンティティとしての風習
アイヌは文字がなく口承でした。そしてこの100年間日本語強制や風習の禁止などがあり、その文化がきちんと残されていませんでした。
そして、今、アイヌ語を学ぶ若者も増え、先祖供養や風習を復活させようという動きが活発です。
これは多様な世界を取り戻していくために、本当に大事なことだと感じさせます。
もちろんこの潮流は、アイヌだけではなく世界的なトレンドなのでしょう。1982年から国連では先住民の人権を保護する活動部会が始まっていますし、最近ではオーストラリアの首相が2008年にアボリジニに謝罪したこともありました。
完全に失われる前に我々は様々な活動が必要になりつつあります。
(終わり)