Papua New Guinea
2013パプアニューギニアを一人旅しました。
この旅ほど、世界の民族の多様性や少数民族の生の姿、そして観光地化前の芸能・催事を見ることができ、さらに文化や歴史を考えるきっかけを与えてくれた旅はありませんでした。
もし、興味がありましたら、「昨日までの世界」(ジャレド・ダイアモンド著)をご一読ください。
(一般的な書評)
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO53408770Q3A330C1MZA001/
http://shukan.bunshun.jp/articles/-/2550
食事に塩がない点、裁判をするとお金ではなく豚で支払ったり、植物を利用した子供の遊び、など多様な観点でニューギニアの伝統社会が記載されています。
■旅程
今回のパプアニューギニアの一人旅は、現地の日系旅行会社PNG Japanさんへ個人手配をしました。
この会社はパプアの先駆的な旅行社で、日本のみならず海外からもお客さんを受け入れており、地球の歩き方(正しくいうとパプアニューギニアは未開拓なので歩き方はなくガイドブックのみ)も記載されていました。
・首都のポートモレスビー経由でゴロカ入り。
・ゴロカでアカメク村のシンシン、グルポカ山のハイキング、アサロ渓谷のマッドマン、などを見学。
・その後、人間魚雷の生き残りの日本人が経営するホテルウェワクへ移動
・Sepik Riverセピック川のツアーで、Palimbe、Yetchanのクロコダイルマンのシンシン、Swagup村、Meno村、を巡る。
ゴロカの山文化とセピック川の水文化を合計1週間で巡りました。
ゴロカは現地でご結婚された日本人の方、またセピック川はツアー会社の現地出身の社長が案内(もちろん私一人だけ)をしていただいたので、非常に興味深い話をお聞きすることができました。
(続く)
■詳細 旅の出来事
○入国
・ここパプアニューギニアは入国した地点から驚きの連続!
まず、空港に並んでいる人々は、肌が浅黒かったり茶色だったり、髪の毛は縮れている人など様々な民族が並んでいる。現地の人曰く、見た目で民族の判別ができるそう。
そして、ゴロカの空港を出る際、なぜか地元の子供たちが数十人歌を歌って待っている。後で聞くと、ちょうど同じ飛行機で棺が運ばれていたとのこと。親族がそれを悲しみ歌っており、もっと激しい哀悼だと泥を体に塗って棺を迎えるらしい。
○ゴロカ近辺の山文化
・ゴロカの街中からすでに掘っ立て小屋が普通の住居であり、道沿いの商店ではバナナやたばこ、ビンロウを売っている人が多い。
・アカメク村という村に入る。
家々は丸形の家で竹でおおわれている。だいたい6-8人の家族で一つ屋根の下に住んでいるらしい。この集落の中心には、コーヒーの重さをはかる道具が設置されていて、村の大事な収入源がコーヒー豆。
・そして集落にはキリスト教会があるとともに、十字架のお墓がある。様々なキリスト教の宗派が入っており、地元の人に支持されている。
→アニミズムやシャーマニズムとの折り合いはどうなっているのだろうか?
・アカメク村ではシンシンと呼ばれる踊りを見る。【動画】
私一人のためだけに、5,6人が踊ってくれて、それを見るために村人30人ぐらいが集まっている。何か、日本でいうと獅子舞やお神楽を家で挙げて、それを近所の人たちが見に来る感覚なのかもしれない。
・このシンシン、飾りは貝殻や豚の骨などで装飾し、多少観光向けにアレンジされているらしいが、あまり洗練はされていない((笑)。
・このアカメク村もそうだが、お金をせびる人もおらず、私がコモドオオトカゲの皮でできた太鼓をたたかせてもらうと子供たちが無邪気に笑ったり、人の良い素の姿が見える。正直、エチオピアの村々とは大きな違い。
→これがモンスーン・アジア地帯の人の好さなのだろうか?
(続く)
(続き)
・グルポカ山ハイキングに連れて行っていただく。
現地の方がふんどし一枚でパプアっぽい衣装をして案内してくれる。
・道中さまざまな話を聞きました。
・ちょうど私がパプアに入る前に魔女狩りの話がニュースになっていました。
(記事→ http://www.afpbb.com/articles/-/2937762?pid=10552217)
ここゴロカも魔女狩りの風習は残っていて、私が訪れた2週間前にも女性の遺体が川を流れていたそう。
キリスト教が主な宗教だが、魔女狩りや精霊など信じていたりする。
・弓矢をもった部族間の闘争はさすがになくなった。しかし村々の争いは多い。
その調停は、豚○○頭とお金○○、という和解が図られる。ナタをバナナ取に使うので、ナタをもって歩いている人は良く見かける。そういう国柄なので言い争うと血を見ることが多い。
・もし車を運転していて事故を起こしたら、その場からすぐ逃げないといけない。
事故を起こすと、そのあたりを歩いている人や家々の人々が出てきて、車をぼろぼろにするまで破壊される。
・山の中の集落で、ときどき「こんなところになぜ?」という品物が売られていることがある。
これは、運搬中の車が横転した際、その際に転げ落ちた荷物。
・山を登っていくと現地のガイドが植物を使いいろいろ遊び道具を即興で作ってくれる。
例えば、草笛。そしてツタのような植物をやり投げのようにして遊ぶ遊び。そして果物の実を車輪のように回す遊び。【動画】
・ハイキング途中には、畑も良く見かける。こちらは焼き畑らしい。さとうきび、もろこし、芋を植えている。
個々の村では男が耕しあぜ道を作り、女が種を植えていくなど分業があるらしい。一方、別の村では、さといもを男、ニンジンを女、などプラントする植物でも違ったりする。
・畑の持ち主の境や山の持ち主の境に、印となるような30~60cmぐらいの大きさの草の織物を飾っている。もしこれを破ると、非常にやっかいな争いになるとのこと。
・このグルポカ山頂には、大きな岩がある。精霊が降りてくる岩で、お祈りをする際には豚を焼いてささげる。そしてその豚の骨は大岩そばの穴に放り投げられている。
ちょうどこのグルポカ山のハイキングを旅行会社が始めた際に、地元の人はこの大岩に開催しても良いか伺いを立てたらしい。
・ハイキング途中に、部族間紛争の際に隠れた岩穴を見る。面白いのは、この岩穴も、男が避難する穴、女子供が避難する穴、と分かれている。
この岩には、赤い香料で8つの印がついている。これは倒した敵の数を示している。【写真】
今はないが、戦った後、敵の人肉を焼いて食べていたらしい。
・このガイド、昔奥さんが家を焼いて出て行ったらしい。このあたりの家は竪穴式だからすぐ燃えるのだろう。そして別の奥さんと住んでいたところへ、元の奥さんが戻ってきて一夫ニ妻で暮らしているとのこと。
・家は、丸い家に窓なしが一番安い。その次には四角の家でトタンの屋根を引きたがる。そして海岸沿いから来た人たちは高床式の家にするとのこと。
(続く)
(続き)
・グルポカ山を下り、モコダンスを見る。【動画】【写真】
モ=男、コ=女を表すらしい。そう聞くと、シンシンの衣装は男性の象徴を示す飾りがある。ユーモラスな動きとダンス。
・マッドマンで有名なアサロ村に向かう。
・アサロ村の入口に入ると新しいお墓がある。聞くと先月子供が亡くなったらしい。なので村の中にはまだ黒い服(喪服)を着ている夫人がいた。またお墓の隣には家の骨組みが残っていた。これは亡くなった人へ悲しみを示す哭礼をした小屋らしい。亡くなった当初、村に来た人はみなここで悲しみを示したらしい。
・ムームーという鶏肉を蒸した食事を食べる。鶏肉のほかにサツマイモや、シダなどのいろんな葉っぱを載せて蒸す。この葉が味付けらしい。今は塩があるが、現地は味付けなしで食べる。
・食事をしている現地の主婦のような人に「日本は北朝鮮があるから危険」などと言っている。みなラジオなどで情報を仕入れている。
→後進国や少数民族だから何も知らない、というのは蔑視であり、世界中が同じような情勢を学んでいることが分かる。
・マッドマンの踊りを見る。元々の始まりは、彼らは戦いを嫌悪しておりこの渓谷まで逃げてきた。追い詰められた際、泥をかぶった。それを見た敵は、「彼らの先祖が来た」といって怖がり逃げていった。【動画】【写真】
・食人の風習とクール―病。昔、人肉を食べる風習があったが、それは亡くなった人の肉体を親族が食べる風習。親族に近い人は頭から食べていった。
人間が脳を食べることが原因となるのがクール―病。昔でいう狂牛病のような病気。このゴロカ近郊の村で流行したことがあり村人の2/3が亡くなった。その時には、医学の研究の調査結果で死体を食べたからといっても誰も信ぜず、「呪いのせい」と言っていらしい。このクール―病は潜伏期間が20-30年、最後の死者は2000年前後らしい。
・こちらの面白い習慣。
舌打ち:すごいね、という意味。チェッという意味はない。
人差し指を上げ体の横で腕を振る:よーこそ、という挨拶。ガイドの車に乗っていると、道々で皆が振ってくる。
(続く)
(続き)
○セピック川の川文化
・Wewak
・ゴロカの山文化を巡る旅を終え、水文化を巡るべく、まずは出発地点となるParadise New Wewak Hotelへ移動。【写真】
このホテル、日本人の川端氏が経営しており、私の旅のあと、2014年には安倍首相とも会っている方。
(記事→http://www.mofa.go.jp/mofaj/a_o/ocn/pg/page3_000848.html)
この御仁、元は日本海軍で人間魚雷の潜水夫だった。終戦で命拾いをして、その後カメラマンで世界中を周る。そののち、最も美しい場所だったパプアニューギニアに居を構え、ホテルを経営しているとのこと。
→思ってみると、パプアの川端さんも、現地の方の雇用や、第二次世界大戦の遺骨収集など地道に地元に密着した活動をされていたり、またブータンではダジョー西岡が農業の生産性向上に大きく貢献するなど地元への貢献が素晴らしい。こういう目立たないところで日本人が汗水流しているところにとても価値がありますね。尊敬できる。
・ウェワクからセピック川の港Pugwiには車で4時間。途中、熱帯雨林の山を登ったり、サバンナのような平地を走ったりと、高低差があるためか様々な風景を見ることができる。
・当然道中の脇道には、集落が転々とあり、面白いのはどの集落にも小さな商店があり違法?ガソリンを売っていたりする。
そして、西欧には村々に教会があるように、パプアのどの集落にもスピリットハウス、つまり精霊の家が大きく構えている。
青空マーケットを持つ集落もあり、キュウリや煙草の葉、ヤシの実、トウモロコシなどを売っている。そしてトウモロコシを煮たものを売っているが、食べると味がない。これもココナッツ汁で煮ただけとのこと。【写真】
(続く)
(続き)
○Sepik River セピック川
・セピック川に到着後、丸太船にエンジンがついたボートに乗る。
川を登ると、途中途中で原住民が釣りなどをしていたりする。こちらが手を振ると必ず大人も子供も振り返してくれる。
思ってみるとこのあたりワニが良く出没するので本当は危険な地域。
・タンバリンハウスと呼ばれる、ある集落のスピリットハウスに到着。【動画】【写真】
川水が雨季のため増水しているが、乾季は地上にあるところ。
建物の中には、祭礼で使う太鼓や大きなマスク(マント)などがおかれている。スピリットハウスの真ん中には椅子が置かれていて写真を近くで撮るのは禁止らしい。この椅子には精霊が座っているとのこと。
このハウスには何か集落で問題が起こったら成人男性だけが集まり、相談や裁いたりするらしい。
(続く)
(続き)
○Yetchen village、クロコダイルマン
・タンバリンハウスを出て、丸太船でYetchen村に向かう。ここは、成人男性のイニシエーションが肌に刺青をするもの。通称クロコダイルマンとして有名らしい。
・ここではバナナの木で作ったボートに10人ほどの男性が乗り、太鼓とダンのシンシンを見る。収穫を祈る踊りらしい。
・実はこのツアーでは、当初ほかのシンシンの予定だったらしい。ただ川の水が引かなかったためカヌーに乗ってのシンシンとなった。ガイドも初めて見るシンシンだそうで、集落ごとに様々な形のシンシンがあるとのこと。
・思ってみると、私一人の客のために、これだけの準備をして、またそれを何十人もの原住民が見ている。何か神楽や獅子舞を個人宅で挙げたりしているみたいだ。
(続く)
(続き)
○Swagup village、カヌーを作る村
・Ambunti村のロッジに宿泊し、次の日、他の集落を見に行く。
Swagup村というカヌーを作る村に行く。一台のカヌーの購入はだいたい10,000円ぐらいらしい。
タイミングが悪くちょうど昼食時だった。
ワニの首が直火焼きされている。
・男たちが何人もいるが、昼食前でみな静かにごはんを座って待っているだけ。
→本来人間の生活はこうかもしれない。飽食となり飢餓が無くなった現代社会においては、食事前に静かになることもなくなった。昔は、生きるために必要なエネルギーであり、それが窮乏すると皆静かになる。
(続く)
(続き)
○Meno village、最もいろんな意味で近代的
・同じく川沿いのMeno村に向かう。
・ここは裕福な村と分かる。祭礼に使うマスクが販売用に陳列されていて、家々も補修されている。ここは、キリスト教を信じていて、成人式のイニシエーションの風習はないらしい。
・紹介してもらうと、こちらの家は一人目の奥さん用、別棟は二人目の奥さん用とあり、豚小屋もあるし、ワニ小屋もある。【写真】
・この村、他の集落と同様にタンバリンハウスがあるが、異なる点は、女性や子供も中に入れるとうこと。昔の伝統が崩れたのか?
そして一方、教会があり、黒板で物書きを教えることもできる。【写真】
・現地の人が、あの山の向こうには、第2次世界大戦の時に、有名な日本の将校が居た、と言っている。そういうふうに声をかけるということは、日本軍もここでは惨いことをしなかった証左かもしれない。
(続く)
(続き)
○パプアの食事
・Ambuntiのロッジに戻り、夕食。
この日は、現地の人が食べる食事を、とお願いしていた。
サゴ、魚、ジャガイモ、バナナ、とあるが、味がない!
味付けはココナッツの汁だけらしく、必要ならテーブルソルトをかけなさい、とのこと。
後に知るが、石器時代には塩を作る技術がなく、パプアの食事はその名残らしい。調味料を知るのはここ1万年の間の事。
○パプア文化
・ごはん後、このツアー会社の社長さんとお話をする。
・口承で伝わっている人間の始まりについて
Meno村やYetche村、そしてSwangup村の人々は、奥地にあるワンマイという村から生まれたらしい。ワンマイの村に大きな穴があり、そこから人間が出てきたとのこと。
・パプアにはタブーがたくさんある。
例えば、最後に私は地元の食事を作ってもらったが、このコックさんは女性。こちらでは女性は旦那以外の男性に食事を作ってはいけないタブーがある。今回は、社長の分も一緒に作るということで納得してもらったらしい。
→タブーが多いのは、西欧に比べると日本も多い。黒猫が縁起が悪いなど。中には非合理のタブーもあるのだろうが、こういう縛りを社会で共有することでコミュニティを認識するのだろうか?
・黒魔術について、今でも現地の人は良く信じているし、呪って殺すこともあり、また呪いを外すこともある。
・村の身分制度として、長老がノグイ、兵士がミンジャ、働く人がイエナ、という身分。座る位置も決まっているとのこと。ただし最近は厳格な制度が崩れてきて、自分がどの身分か分からない人も多く、逆に生活がしにくくなっている。
(続く)
(続き)
○Upangai村、偶像化された精霊がいる村
・セピック川巡りも終わり、Wewakへ戻る道中、Upangai村に寄る。
ここにも精霊の家があり、非常に大きい建物。雨季も水につかる心配がない陸地のため、高床ではない。
・ここでは、精霊が人間の形のような偶像化されている。他の村では目に見えないもの、としてあったがここは偶像なので、キリスト教の影響だろうか?
ただ女性はやはり中に入れないらしい。
(続く)
(続き)
■印象
このように旅行記をまとめると、本当にいろいろなことに気づかされた。
・小さい国に多様な民族 遺伝子の変容のすごさ。
・人類の1万年前の食事、飢餓と豊穣。
・草笛など自然を使った遊び、五感の遊び
・タブーの存在価値、今でも残る黒魔術や魔女
・歴史上における社会の進化や身分制度、集落―首長―王国―帝国
・現地のおける、山文化と海文化の違いと、そして交流
・伝統文化、口承文化、原始宗教と、英語やキリスト教との出会い。
そしてその受容度合いの違い、
・したたかに生きる民衆(不法なガソリンやケシの実など)
・人が生きる根源的な、子孫を残す、ごはんを食べる、ことの大切さ
シンシンに込められた人類の共通願い
(終わり)