佐渡島
ー民間に伝承される薪能と離島文化ー
2015.6 佐渡島 春日神社薪能
佐渡島は、能舞台が30か所以上あり、民間で能舞が披露されている有名な場所。
その昔、鎌倉時代には日蓮、日野資朝、承久の乱では順徳上皇が流された政治的な流刑地、そして江戸時代には金脈が発見され天領地(天領地は即ち年貢率が低かった土地でもある)ともなる経済的な特徴があり、そして九州から流れてきた民謡”おけさ”が著名になった土地。
佐渡を巡ると、
・日蓮の仏教や佐渡奉行が伝えた能がたどり着いたという”起源”
・順徳上皇の土地に残る伝承や木喰仏像が受け入れられ集落に祀られている”受容”
・一時期は佐渡島内に200箇所まで広がった能舞台や道端に数多くある石地蔵さんに見る”継承”
・佐渡金山独自の祭礼”やわらぎ”が今では無くなる”終焉”
そして今では町の象徴として”復活”している
この一連の流れが凝縮されています。
(以下に続く)
■今回は、佐渡島に民間の薪能を観にきました。
神社境内の能舞台がしつらわれ、神域に見立てられています。日本の芸能は、西欧のショーとは異なり神事要素が強い。
■日本が様々な大陸文化を換骨奪胎して特有の日本文化を創造したように、ここ佐渡では本土の文化を良く保存すると共に島化して根を下ろしています。
一端でいうと、木喰上人の木像があったり、寺と神社が集合した神仏習合の様子だったり、九州や北東北と繋がる佐渡おけさがあったり。はたまた豪勢な漁師町料理だったり(日本の海岸沿いは薄味で味噌料理が少ない気がしますがそうでしょうか?)
■そして今日鑑賞した春日神社の薪能は、一般の方、地元の保存会が演じた、西王母という周の時代の演目。
武家のものであった能が、民衆のものになり江戸期には島内200もの舞台があったそうです。それが今でも形を変え少なくなりながら残っている。
佐渡で能と言えば感が良い人なら分かる通り、能を大成させた世阿弥の流刑地になります。
しかし、本格的な能は江戸時代の奉行が奈良春日神社から能役者を2人連れてきたことから始まります。何故奉行が置かれたかというと江戸幕府が金山目当てに天領地にしたためです。つまり人が流入し経済活動が生まれたためです。
そしてここ佐渡の春日神社能舞台は明治期に一旦無くなります。しかし2006年に復活します。100年以上経ってからの再出発ですね。
■こう見ると、人が集まり社会が出来れば文化が生じ、文化が無いところに社会は滅びるのかもしれません。社会と文化は従属関係ではなく互いが構成要素なのでしょう。
なので、日本文化が無くなっていくというのではなく、別の文化に奪われている、もしかは日本人の感性が低下している感じがしますね。
そして佐渡の能のレジレンス力は凄い。能が文化遺産としての価値のみならず、社会的価値を見出し、サスティナブルになったのでしょう。問われるのはこれからです。
(能以外にも色んな祭りも復活しているそうです)
社会、政治、経済、と文化。各々の動作原理を見ないと本質は分からないです。そして中心には市井の人がいる。
(終わり)