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美濃 円空巡り/ Buddhist sculptor,Enku
何故円空は蝦夷まで廻り12万体も仏を造ったか?
江戸時代前半に、仏師円空は、南は大和の大峯から北は蝦夷地まで廻り12万体の仏像を作った。修験道の仏師なので求められるがままに各地の人々に木像を作っていったのであろうが、彼をそうさせたのは何なのだろうか?そして民草は何故それほど彼の仏を求めたのか?
それを探ろうと、彼の出身地である岐阜県を訪ねました。
・郡上市内の美並ふるさと館では円空の経歴や足跡を残した日本各地の地図、そして仏像が展示されています。そして円空は木地師の家に生まれ幼いころに母親が亡くなったとのこと。
ふるさと館では木地椀の作り方や、稲作や養蚕の生活の様子が描かれている。そして雛人形が数多く飾られている。
・美並から高賀山をぐるっと回って、関市にある洞戸円空記念館に向かいます。ここでは、話好きの案内の方がいろいろと説明していただく。
円空が残した和歌集や日記、神符、などが飾られている。
その一つ、入定前の最後の作品が「歓喜天像」がある。最後の作品に男女の喜びを描いていることが、背反するものが一つに融合することを示しているのか、死と生が同一のことを示しているのか。
そして、高さが人の身長ほどある「一木造り三像」を見る。これは、一本の木から3つの仏像、十一面観音・善女竜王・善財童子を掘り起こしたもの。解説を聞くと、母親が善女竜王、自分自身を善財童子に見立て、それを向き合うような形にしているとのこと。
・まさにこの仏像に円空の本質が現れている。
幼いころ亡くした母親への想いを原点とし、怨霊封じや雨ごいなど民の本願成就を願う行動。これこそが利己と利他が一助となるには深い慈悲があることが顕れている。
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