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遠山郷 霜月祭り

三河、遠江、南信州の境界は、三遠南信地域と呼ばれ、古来からの風習やお祭りを色濃く残している地域のようです。

2014年、国の重要無形民俗文化財に登録されている「遠山の霜月祭り」を見に行きました。

遠山郷は、交通にはとても不都合ですが、おいしいお蕎麦屋さんがあったり、道を歩いていると地元の人が声をかけてきて立ち話をしたり、一方廃校になった小学校が地元の集会所っぽくなっていたりします。

そして、集落が数十戸の地域に分かれ、それぞれの神社で、霜月祭りが開催されます。

それは、湯立神楽で夜を徹して行われるもので、神社ごとに雰囲気が異なるということです。今回は、木沢正八幡宮で行われた祭りを見に行きました。

 

■境内の雰囲気

木沢地区には、木造建築の旧木沢小学校があります。

廃校で寂れているわけではなく、図書室や音楽室、教室などはきれいに保存されていて、もしかすると映画などの撮影で使われていたり、団体さんが観光客で定期的に来ているのかもしれません。猫の校長先生がいるそうです。

霜月祭りの際には、夜を徹して行われるため、この小学校が交流所・仮眠所になっていました。

 

そして、湯立神楽の始まり。神社の境内はたき火がたかれ、小屋の中からは太鼓や話し声が聞こえます。そして神社の扉を開けると、既に観光客や地元の人が何人かいる。

境内にはそこかしこに注連縄があり、小屋の中にはお見舞金を渡した方の名前と金額がところ狭しを張られている。

この神社は湯立釜が3つ。ここだけらしい。

 

 

(続く)

■遠山郷の木沢地区

こういった神楽にはお見舞金として幾分かつつみ拝見させてもらいます。

受付後、案内資料をいくつかいもらいました。そこには、木沢地区の歴史と、神楽の説明があります。地元の人にも今の林業の様子なども

木沢地区の歴史を見て驚くのは点があります。

・一つは、関ケ原直後にこの地方を収めていた遠山氏の歴史。

関ケ原前からこの地を収めていて江戸時代にも残ることができた領主。しかし、圧政が厳しく民衆の反乱で一族が殺害された。遠山郷の神楽では、この一族の霊を収める踊りが含まれている。

・もう一つは、集落の洪水や飢饉の頻発。1716年、1719年、1731年大洪水、1733年餓死者、1796年天然痘、など書いてあります。そして1925年ラジオ、1955年テレビが入ったそう。

・そして地元の人が林業の話。木沢とは、木が沢のようになっているからだそう。だから江戸時代に天領地になる。そして今や日本には大木がなくなってしまい、例えば寺院から「○mの樫の木」というと、日本全国の林業業者が「どこそこにある」と即座にわかるそう。それほど希少になってしまっている。

 

(続き)

■神楽の模様:

・配られた資料によると、木沢の神楽は19番から成るようです。

1大祓い、2御扉開き、3三条の祓い、4ひよしの神楽、5神名帳、6湯立、7大夫舞、8宮浄め、9八乙女、10家浄め、11四つ舞、12願ばたき、13天伯の湯、14中祓い、15襷の舞、16鎮めの湯、17面、18かす舞、19木の根祭。

午後二時ぐらいから神事が始まり、舞や湯立が本格的に始まるのは六時ぐらいから、翌朝の7時ぐらいに終了しました。

 

・この神楽、大きく3部構成となっていました。

一つが、全国の神様を招待し、湯立をするもの。二部目は地元の神様や遠山一族への怨霊を慰めるもの、そして最後は、面や天狗が出てくる三部。

一部と二部の境が禰宜さんが「ここからは地元神様向けです」とおっしゃてくれましたが、上記の番号ではちょっと覚えておらず。。

 

・実は盛り上がるのは後半部分。四つ舞や襷の舞の時にはもう観客もいっぱい、TVカメラもあり、ちょっと猥雑な盛り上がりもあり。

そして氏子連中が入ると、おしくらまんじゅうをして盛り上がり、若い男性も多くTV女子アナウンサーがいたのでもっと盛り上がる、という感じです。

(続き)

■感想

<後日談>
・風習や郷土芸能などは、残すか否かが問題ではなく、どのように残すのか、が問われていると感じます。
-古来は地区の住人で担っていたが、今は地縁や血縁で結ばれた他の地域の人も担い手にならないと催行できない。
-観光化してしまうと古式の神事の尊さが失われてしまう恐れがある一方で、観光を受け入れないと儀式が維持できないのも事実。
⇒私も観光に過ぎませんが、地元の方が大事にすることを同じく祈るしかないですね。反省させられました。

■古き日本の思想の一面も垣間見えました。
‐日本は「忌」が避けられますが、その一端もお聞きしました。近親者に不幸があった場合は宮に近づけず、近づくと村から追い出されてしまう。
‐演者に女性は一人もいませんでした。裏方の配膳のみに居るだけです。昔は男性中心の世界だったことを思い出させました。
⇒そのような風習が近代的なのか、という疑問を持つ人もいるかもしれません。こういった文化・風習の多様性と、自由や平等の価値観、の相克も感じられます。

■日本の文化には、老荘思想や道教の影響が強いことを再認識しました。
‐日本文化は、万葉世界のアニミズムが基層にあり、その後に仏教、儒教が乗っている3層構造と思っていましたが、道教というか中国思想が強い。
‐北辰(北斗七星)に祈り、東西南北の白虎などの神様を祭り、木火土金水の思想がある。これは、中国三国時代の五斗米道に由来している。
⇒この思想が霜月祭りに色濃く残っています。東西南北に釜が置かれ、その四方を神に祈ることなど。

今まだ見れる祭り、今だからこそ見れる祭りの発展、などを感じます。

(終わり)

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