3.11震災以後の東北2
震災後の被災地の変化、交差する時間
2011年3月11日に発生した東北大震災の津波と原発事故。
被災地の早い復興を祈ります。同時に、日本社会が良い方向へ少しでも変わっていくことを願います。
そういえば、震災以後の神社の絵馬には、自分の望みだけでなく、家族や世界の平和を祈るなど他者への思いやりが増えたようです。一歩一歩行動へ変わっていくと素晴らしいですね。
さて、私は何度かボランティアで足を運んでおり、ここでは,2014年と2017年に伺った南三陸の今昔の様子と印象を記します。
※震災以後の東北の祭礼をテーマに別ページを記しています※
■大川小学校の2014年と2017年の様子
74名の児童が津波から逃げ遅れ亡くなった大川小学校。
・変わらないのは、花が手向けられ、多くの方が冥福を祈っていること。一層花が多く咲いていました。
・たまたまだと思いますが、2017年の際には、ご遺族の親御さんが神戸からの児童の団体に向けて説明していました。波がどこまで登ってきたか、津波にあった状況、避難がされてなかった責任の所在、そして親としての無念の思い。そういったことを語っておられました。そして津波の状況や被害、その後の裁判の様子などを説明する写真や看板が増えていました。
■南三陸の象徴的な震災遺構 防災庁舎跡
津波時に、津波が来ます逃げてください、と最後まで放送を流し、本年には流された庁舎です。また防災庁舎でありながら津波が屋根上まで襲ってきて、数人しか生き残れなかった場所。
・変わらないのは、防災庁舎跡。さび止めが塗られ、色は変わっていますが、当時のままの場所で残っています。
・一方、大きく変わっているのは、その周りの様子。上山八幡宮から同じ風景を見ると、2014年はまだかさ上げ中でしたが、2017年には商店街が出来て、かさ上げに埋没していました。
そして献花台の場所が大きく違う。2014年ではその足元で献花できましたが、2017年は遠目から。でも亡くなった方を追悼する思いは変わらない。
■福島の常磐道開通
・2014年には常磐道が開通しておらず、福島経由で宮城県には行けませんでした。2017年は開通しており、除染された土壌や原発を遠景に見つつ、宮城に向かいました。
道路からの車窓のみですが、初めて福島を通った私には衝撃的でした。原発近くに行くと、除染された土が袋に入り“仮置き場”という名前の置き場に山積みになっている。そしてその黒い袋が劣化し再度仮置き場を整理していたりする。
また、福島の田畑や森林は遠目でも人手が入らず荒れているのが分かります。
そして道路わきの家々。人が住んでいる様子はないのですが、玄関先にはシャッターがすべての家に置かれている。おそらく不法侵入防止なのでしょう。そして、洋服屋や薬屋さんなどの道路の店舗もほったらかしでガラスが割れている。
この地域だけは、7年の止まった時間が感じられます。
■南三陸の上山八幡宮 稚児祈祷
・2014年も2017年もボランティアで参加したのは、上山八幡宮の稚児祈祷をお手伝いするためでした。
いつになっても子供の健やかな成長を祈る親の気持ちは変わらない。