3.11震災以後の東北
つながりを求 める社会、再生する祭礼
2011年3月11日午後2時46分、東北太平洋沖でマグニチュード9.0という千年に一度の規模の地震が発生。
十数メートルにも及ぶ津波が東北沿岸の集落や村々を飲み込みました。
2016年6月時点、死者は15,894人、行方不明者2,558人とのこと(*1)、亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、震災を乗り越え前を向いていらっしゃる被災地の方々と共に歩んでいければと思います。
さて、東北といえば、遠野物語に代表されるような日本の古層文化を色濃く残していたり、出羽三山の山伏系の祭礼や、狩猟のマタギ文化などもあります。
また、歴史的には、三内丸山遺跡の縄文文化から蝦夷を経て奥州藤原氏の繁栄、南北朝では北畠顕家の活躍や、時代は下って幕末には奥羽越列藩同盟などが思い至ります。
まさに、京都の中央とは相対した辺境的な歴史・文化を感じさせます。そして、都会では喪失してしまった風習や祭礼など近代化・消費社会以前の日本の風土を感じさせます。
そのような東北地域が津波で大きな被害を受けており、産業基盤、生活様式、人口動態、など大きな変化が余儀なくされており、地域の文化やつながりを担っていた伝統行事や祭礼・芸能にも例外ではありません(*2,*3)。
獅子舞や神輿など伝統芸能や祭礼儀式に利用される道具が津波に流され、地域の要となっていた催事がなくなり、さらに酷いところだと集落の氏神神社や先祖代々のお寺そのものがなくなっている。
しかし、地元の人が自ら七夕祭りを復活したり、獅子舞やお神楽などを復活、そして道具なども様々な場所からの寄付などで整備され始めています。
さらには、震災前から廃れかけていた祭礼・儀式を地元の復活・再生を願い掘り起こし、さらにはより発展させようとすることで、生活を復旧するのみならず、復興しようとしている。
それを実際私が感じたのは、東北地域のボランティア活動に参加した時。
2011年から2012年までは多くのボランティア活動といえば、土砂の掃き出しや瓦礫撤去、などがありました。
しかし、その後2013年ごろからのボランティアの活動内容が変わってきました。季節のイベントのスタッフ、復興イベントの裏方、そして神社などで行われる祭礼やお祭りのお手伝いなどです。
個人的には日本の基層文化や伝統的な行事・神楽などが好きだった私としては、ボランティアの裏方でそういった神社の支援などができることは、ありがたいことでした。
当ページでは、そのような裏方スタッフで参加させていただいたスナップショットになります。
■東北の祭り
・2014年 宮城南三陸 上山八幡宮
・2015年 岩手遠野 にほんのふるさと遠野祭り、遠野郷八幡宮例祭
・2015年 岩手大槌町 大槌まつり 小鎚神社祭典
(下へ続く)
続き)
■印象
・地域の再生のため結びを創る人々
今、東北の各地域には伝統芸能や神社の例祭などが復活し、そのレジレンス力には目を見張ります。しかし、それらは勝手によみがえるものではなく、リーダーや中心人物が危機感を持ち、再生にかける熱意をもって進めていらっしゃります。
南三陸の上山八幡宮では、宮司さん以下ご家族が、神社の祭礼だけではなくキリコ文化を広めたり、「南三陸椿ものがたり」として復興活動に力をいれていらっしゃいました。
こういった地域の方々が、自らが社会の結び目になり人々を巻き込みながら復興している、その様子を感じ取れました。
・未来を見据える人々
大槌まつりの神輿を引っ張っているとき、現地のシニアの方から良い言葉をいただきました。
「今回津波で大槌町の被害も大きく、若者は街を去っていった。川渡御を見に来る人も激減した。しかし、この事象は時間が20年早く進んだに過ぎない。津波が来なくても日本全体は人口が減り文化の担い手がいなくなる。その問題を真剣に考えている人がいない。どうするんだ?」
まさに目から鱗でした。
自分たちの町は被害を受け社会がまだ復旧途上にある中、きちんと未来や日本全体を考えていらっしゃる方がいる。そしておっしゃられた通り、財政や経済、産業、安全保障のみならず、文化や多様性、価値観などを含めた全体として日本をどうするのか、その岐路に立っているのかもしれません。
・良くも悪くも日本の地方社会は存在
The good old days, 古き良き時代。
憧れを持つ響きですが、良い面も悪い面もある。
祭りを見ていると、地域の子供たちが普通に笛や太鼓も出来ますし踊りもできる。そして神楽なども「○○ちゃんが踊っているから私も入る」という感じで小学校から習うそう。
地方文化の担い手とよい環境が整っていますし、何より子供たちが大人になった際、自分自身のアイデンティティを持つことができるでしょう。また、地域の家々のつながりも強く、集落単位の助け合いも強く残っています。
しかし、一方、田舎に育った私なども感じますが、閉鎖的で固執的、異質なものへの拒否反応も強い。例えば、神社の境内で酒飲み宴会などもありますが見方を変えれば強制的。
桃源郷は世界にはありませんが、存在してほしい、という願いを持ちます。
・伝統芸能や催事の重み
日本の各所の伝統芸能や祭礼を見て回ると気づきますが、その一つ一つの重み、見る側へのインパクト、はそれぞれ異なります。
観光のためという割り切り行事から、長い歴史を持つ神事としての祭礼、まで。言わずもがな、印象に残るのは、長い伝統や生活風習に裏打ちされ、そして観光などの私欲ではなく信仰・無私の心で行われる行事には、感動で言葉にならず写真なども忘れます。(今やカメラマンのマナーの悪さは救いようがありませんが…)
遠野郷八幡宮まつりは、そういった地方の祭礼、すなわち、稲刈りが終わり豊穣を感謝するその心意気、そして集落ごとの出し物の競い合い、なども感じられ、それはきっと江戸時代から変わっていない盛り上がりがある様子でした。都市で行われる○○祭りなどとは一線を画しています。
・人の生活には祭りは欠かせない
驚くことは、祭礼や儀式の復旧のみならず、復活を果たしているということ。
金澤神楽については震災前から廃れかかっていたが、震災以後に舞手が増加したり周りから注目されたりと復興している。津波という大惨事であったがそれが復興の機会となり人々が集まっている。
寄り添って生きるには、必ず要となる何かを必要とするのが人間だと実感します。
■参考資料
(*1)警察庁2016年8月資料 https://www.npa.go.jp/archive/keibi/biki/index.htm)
(*2) 映画:「波伝谷に生きる人々」(我妻和樹監督)震災前から南三陸の生活や民俗調査を実施していた監督がドキュメンタリー映画としてまとめている。海に生きる人々の生活や肉声が素晴らしい。
http://hadenyaniikiru.wixsite.com/peacetree
(*3)映画:「波のした、土のうえ」。震災後、陸前高田の現地の方にインタビューし、映像を再編集、朗読を入れる、といった独特の編集による映画。見る人に何かを考えさせる。
http://komori-seo.main.jp/blog/
■最後に
東北の方と話すと、死者とつながりといえば恐山、とおっしゃいます。
そして、3.11の津波のあとに私は恐山に参拝し住職さんのお話を拝聴しました。生きる意味とは、という深いテーマでしたが、それが人の社会性とつながっている、ということを発見できる良いお話でした。
奇しくも、上山八幡宮の稚児祈祷から青森恐山まで、誕生から死後まで一生にかかわるページになりました。