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エチオピア少数民族

2012年にエチオピアを一人旅しました。

エチオピア南部諸州は、竪穴式住居に住み石器を使った生活をしている民族がまだいるという。

その様子を見て、文明とは何か、人類の原始の姿は何か、のインスピレーションを得るための旅です。

 

日本の旅行会社に現地ツアーを依頼しました。いわゆる個人手配旅行というものです。

エチオピア現地では現地のツアー会社がドライバーと車を用意しており、それに乗って民族の村を周遊する構成です。

 

■旅程

南部諸州を巡る旅は、六日間、途中3泊はキャンプです。

南部諸州の中心都市アルバミンチまで車で半日移動。その後、

・段々畑が山肌に続くジンカ村、

・唇に大きな皿を入れるムルシ族の村、

・先住民が集まるケイファー市場、

・トゥルミ、

・オモ川河畔のカルロ族、

・ハマル族の成人式、

・石垣で守られたコンソ村

を見てきました。

ハマル族の成人式は、ローカルガイドが「今日見に来ないか」と言われ、当初の計画になかったものです(もちろんExtra moneyです(笑))

 

アルバミンチ以遠は、住居や畑などの住環境だけでなく、人々の服装からしてまったく違います。秘境の民族、と感じさせてくれます。

歩く人は、ビーズの装飾や動物の皮を使った飾りを持っていますし、髪の毛は縮れ毛の人も多く、なぜか鍋のような帽子を裏返してかぶっている民族もいる。

■印象

・少数民族・先住民・未開拓の集落の近代化・資本主義化をどう見るか?

子供たちはマネーマネーと寄ってきますし、ペットボトルの水をくれ、とも言ってきます。また大人の男子は髭剃りをくれ、子供はボールペンをくれ、と普通に言ってきました。タクシードライバーはぼったくろうとしますし、現地のローカルガイドですらタカってきます。

最貧国が急激に資本主義に巻き込まれたらどうなるか、格差が大きいとどうなるか考えさせられます。

写真一枚撮影ごとに○○ブル、という値段設定も驚きで、村の風景は別にして個人の撮影はお金が必要になります。

表面的に考えると、そういうことで原住民が現金収入を得ているとも考えられます。もしかすると、明治期に日本人が写真を恐れた宗教観や価値観が裏にはあるのかもしれません。

私は、各村のリーダーやお母さん女性たちを写真に撮らせてもらいましたが、彼らは逆に恥じらいを持っている印象を持ちました。それもまた好印象でした。写真を撮った後は前述のとおり少額を渡すのですが、子供たちのように喜々とした雰囲気ではなく、戸惑いながらもらっている、という風でした。

これらの少数民族は貨幣が入ってきて50年しか経っていないようなので、資本主義を受け入れていく人類の過渡期価値観を持っているのかとも感じました。

ムルシ族やハマル族は観光客からの収入を村でシェアしている、とも言っており、原始共有世界の価値観なのか、と感じられます。

・産業革命前、農耕革命前の失われていく文化をどうとらえるのか?

少数民族の村々は、電気・ガス・水道はなく、西洋医学にかかることもなければ教育制度もありません。いや、病院や学校の建物はあるが、先生もおらず行かないとも言っていました。

これらの村では、成人式はある意味野蛮であり、また女性蔑視も非常に強く残っています。

では、彼らに社会インフラを整え、教育や医療も提供し、近代化・西欧化して行くとどうなるのでしょうか?間違いなく失われていく文化・風習があります。特に、彼らは文字を持っていないので、言葉は最たるものでしょう。

一方、今のままでは、世界の中で最貧民族ではありますし、寿命は短く、日々の食事にも困ることでしょう。

国家や世界から集落を守らなければ、押しつぶされてしまう。

そう考えると、無理に近代化を推し進めることも、彼らに彼ら自身の文化を残してもらおうと思うことも、先進国・他人からのエゴだと分かります。

世界や近代の情報は与えつつ、彼ら自身でこの先どういう選択肢を選んでもらうべき、というのが現時点の答えです。

・行動基準・道徳観の違いはなぜ発生したのか?

前述した、お金をくれ、ボールペンをくれ、いうこも多かったと記載しました。

これは、赤の他人から物を恵んでもらう、もしくは盗む、ということが正当化or悪いこととは思われない、道徳観なのかもしれません。そう書くと多くの日本人は、本当か?と思うかもしれませんが。

 

こういうことがありました。

アルバミンチへ向かう間に車がパンクしました。

ドライバーがタイヤを交換するまで20-30分あったのですが、その間に回りに子供らが10人ほど集まってきました。ドライバーは「絶対にペットボトルを渡さないように」と伝えてきました。私はその瞬間意味が分かりませんでしたが、自分の水でもあるし渡すことはしませんでした。

しかし、交換するタイヤを車体に積み込むのを子供たちが手伝ったりしている様子を見て、何かあげようか、とも感じ始めました。

 

そしていざ交換後、出発となり車に乗り込みエンジンをかけた時です。

走りかけた車の窓から、持っていたペットボトルの水を、まだその辺りにいた子供たちに渡そうとしました。具体的には、一番おとなしそうにしてタイヤの積み込みを積極的に手伝っていた女の子に渡そうかと思いました。

そしてペットボトルを窓からその子供に渡そうとした瞬間、周りの子供たちが手を出し我先にと奪おうとして、手をどんどん差し出してきました。

 

結局、その子供には渡せたと思うのですが、「渡してはいけないとはこのことか」と思い当たりました。

つまり、何か一つのものでも渡してしまうと、その取り合いになるかもしれないし、もっと欲しいといって、もしかすると身ぐるみはがれるかもしれない。

そんなことを感じた次第です。

 

その他にも、アフリカでビジネスをしている方などから聞いた話や出来事でも、長年仕事をしていても平気で仲間を裏切るし、お金を奪うことも多い。絶対に信用してはならない、とも聞きます。

そして友達と思っていても、平気でお金をくれ、物をくれと言ってきます。

 

結局、自分の利得の最大化が行動の第一基準になっており、そこに利他の精神や自己統制のような観念が薄いことが見て取れました。もちろん、これは相手が自分の家族や部族ではなく、赤の他人の旅行者だからかもしれません。

ただ、その事象を見ると「貧しいから仕方がないよ」「お金持ちからもらってもよい」とも感じられますが、異なる道徳観で生活している、とより深い違いを感じたりしました。

アルバミンチから南部諸州への道

アルバミンチから南部諸州への道

エチオピア南部諸州の入口アルバミンチ。 そこから舗装された道路はあるものの、奥地へ入ると、見える家は竪穴住居、牛などの放牧と耕された畑が連なる。

皿を唇に入れるムルシ族の村/Mursi Tribe

皿を唇に入れるムルシ族の村/Mursi Tribe

国定公園の中に入ると、ムルシ族の、藁で作ったような家々。 実はこの村は数年前に近くから国によって移住させられた。それは道路建設のため。舗装道路が作られているが、道路を通るのはダンプカーか観光客の4WD、そして放牧されている牛のみ。

ムルシ族の調理風景/Mursi Tribe

ムルシ族の調理風景/Mursi Tribe

ムルシ族の調理の風景。 みな、写真を撮られるのを笑いながら見ている。 石器で脱穀している。 そして唇はプレートが入っていないため、だら~としている。

ケイファーマーケットへ向かう少数民族/Keyfar Market

ケイファーマーケットへ向かう少数民族/Keyfar Market

ケイファーマーケットという原住民の市場へ向かう道。 何kmも原住民が売り物をもって歩いている。

ケイファーマーケット/Keyfar market

ケイファーマーケット/Keyfar market

市場の様相。 食料、食器(土器みたいなもの)、油、などが売られている。 普通に上半身裸の女性も歩いている。

オモ川を見下ろすカロ族の村/Omo River

オモ川を見下ろすカロ族の村/Omo River

オモ川河畔の少数民族カロ族の村。 写真は高床の食糧庫。 川を見ると、魚を捕るための丸太船が浮かんでおり、遠くを見やると放牧の牛の砂靄が見える。

カロ族の村と人々/Karo Tribe

カロ族の村と人々/Karo Tribe

カロ族の住居はムルシよりも大きい。 たまたま見学していると、ワーキャーと女性と子供が騒ぐ声がする。見ると家の中にネズミが出たようで騒いでいた。

ハマル族の成人式/Hammer Tribe

ハマル族の成人式/Hammer Tribe

たまたま現地で出くわした成人式。 準備に何時間もかけており、全員で100名近くいたと思われるが、女性は女性だけ、男性は男性だけで準備する。 そして男性が女性を鞭を打つという儀式も途中途中である。そのためすべての女性の背中にむち打ちの傷が残っている。 この写真は女性がたむろっている様子。

ムルシ族のブルジャンプ/Mursi Tribe

ムルシ族のブルジャンプ/Mursi Tribe

ムルシ族のブルジャンピング。 10歳ぐらいの子供がすっぽんぽんで、7,8頭の牛の背を渡る。

コンソ族の村/Conso Tribe

コンソ族の村/Conso Tribe

山一帯がコンソ族の村になっている。 この村は戦闘好きだったらしく、山一帯に石垣が連なっている。

コンソ族の村の中心地/Conso Tribe

コンソ族の村の中心地/Conso Tribe

コンソ村の集会所がある広場。自治体の集合所みたいなもの。 前に見えるのは木の柱。これは、一年ごとに木を加えていき、18本で一束になる。だからこの木の数を見れば、村が何年目かわかるという。

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